2025/12/30

懺悔

 祖母が亡くなった。

良くも悪くも遠慮のない人で、故に自分がひどいことを反論してしまうこともあった。
きっと、生意気な孫として少なからず映っていたと思う。
それでも、決して仲が険悪だったというわけではなく、おそらく生意気だったであろう孫に対してもおばあちゃんとして接してくれていた。

元気な人だった。自分よりも長生きしそうだと本気で思うくらい。
具体的には、腐った果物を間違えて食べてもピンピンしている人だった。弱る姿がまったく想像できなかった。

私が帰省するタイミングではたいてい元気だったから、なんだかんだ回復するだろうと思っていた。
年末年始の帰省予定日では間に合わなかった。


タイトルの「懺悔」のひとつは、死に目に立ち会えなかったことで違いない。
これに関しては仕方がないかもしれない。
だが、他に関しては違う。


弔辞を任されたものの、書き終えることができず直前まで引っ張ってしまった。
書く内容が思いつかなかったのだ。
弔辞とは本来思い出話から感謝の気持ちを伝えるものだ。「ありがとう」を引き出す行為のはずだ。
それなのに、思いつくのは後悔ばかりだったのだ。

あんなことを言わなければよかった。
あの場所に一緒に行けたらよかった。
もっとあれをしてあげたらよかった。

未だに実感が湧かない。年末年始休暇が終わり、日常に戻ったら、亡くなったことなんか忘れてしまうんじゃないかと思う。

少しでも、同じ後悔を抱かぬよう。

2025/12/20

Windowsの管理者権限で実行って何なのよという話

 Linuxはスーパーユーザで何でもできるけど、WindowsのAdministratorsグループのアカウンコ(以下、管理者ユーザ)だと「管理者で実行」しないとできねーことあるの何でかなーという疑問を抱いたので。

Windowsではどうやら管理者ユーザでも常時「管理者だぞ~」と権限を振り回しているわけではないようです。一般ユーザ同様の仮面をかぶっているみたいですね。

じゃあ一般ユーザとの違いは何かというと、もう1個仮面を持っていることです。


Windowsでは、ログイン時にトークン(アクセス権を付与していいか判断するための情報の集まり)が生成されます。一般ユーザは一般ユーザ用のものが1つ。対し、管理者ユーザは一般ユーザ用のもの+管理者用のものの2つが生成されます。

一般ユーザも管理者ユーザも普段は凡人のフリをしますが、管理者権限が必要ないし要求されると、管理者ユーザは管理者用トークンを持っているので、「管理者として実行」を押したり、「このアプリがデバイスに変更を加えることを許可します」のような画面で「はい」を押すだけで権限昇格が可能です(余談ですが後者は表示させないよう設定が可能。その場合、自動で操作が続行される)。
これが、管理者用トークンのない一般ユーザは管理者ユーザの資格情報(アカウンコとパスワード)入力が求められます。

以上、すごくざっくりとしたカラクリでした。

そのうちAdministratorsよりも偉いやつがいるという話もやろうかなと思います。私が理解できてからになりますが。

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こういう話をするブログを別に作っていたことを忘れていた。
https://ultimatemachineofsalpe.blogspot.com/

2025/08/03

基本情報技術者試験




■受けた動機
会社の社員目標として。
何を設定したらいいかわからなかったので、わかりやすい資格取得にした。


■勉強期間
・2月~8月頭
・朝や通勤時間
・帰宅後(時間があれば)
・休日


■勉強方法
・基本情報対策の動画
・テキスト
・公式のサンプル問題 ※科目B


■試験の感想
・持ち込んだ機器を勝手にPCに接続したり(これは理解できる)、PCの電源を落としたら退室させられるらしい。PCの電源を落とすってどういう奴がやるんだよ?
・暑い
・おなかいたい
・落ちたかも
・暑い
・早く終わんねえかな……



■反省
・基本情報じゃなくてCCNAとかネットワーク(機器)系の資格にすればよかった
 マネジメント、ストラテジ分野が本当に頭に入ってこなくて、これらを勉強しているときにガチで思った。資格試験にモチベは大事。
・勉強方法を間違えた
 試験1週間前に思ったことだが、過去問演習とか基本情報対策動画とか見てもまったく頭に入らない。今から勉強し直せるなら公式のシラバスを見てわからないところを調べる方法を取りたい。
シラバスはこのページ中にあります
 試験用の勉強、つまらなすぎる。もっと知的好奇心を刺激されないとダメだ。勉強にタイパを求めると、結果的にじっくり学習した時より時間を費やすことになるというアレ。自分は一生タイパ重視の勉強というものができないと思う。
・合格できたのは運がよかったからだと思う
 得意分野がたくさん出たとかではないが、勘で選んだ問題が多分結構当たったんじゃないだろうか? わからないが。
・通勤中の勉強は不可能と考えるべきだった
 行きは満員電車に当たるとスマホなんか触れない。
 電車酔い等、体調不良でままならないときも。一度アプリ問題を解いている途中で軽い迷走神経反射の症状が現れて立っていられなくなったときがあった。
 帰りは疲れていて不可能。満員電車のときもあるし、朝よりも体調不良になりやすい。


■その他
・試験形態が変わってから2年ぐらい? 経過したが、最近基本情報の難易度が上がってきているらしい。Iパスも同様らしい。以前は「サルでも受かる」と言われていたが、IT齧っている人でもノー勉合格は厳しくなってきているとか。
・問題が何を言っているかわからない。文章を読むのに目が滑る。多分疲れている。 
 科目Bで難儀したのもこのせい。仕事でbatとか作っていると基本的なif文for文関数ぐらいはわかるし、配列も難しい概念ではないから解読自体は可能なのだが、如何せん問題文がわからん。後、集中力が足りない。途中で頭とメモ用紙がごちゃごちゃしてくる。多分疲れている。
・試験前の1週間ぐらいずっと腹を下しており、当日も腹を下していた。そして頭は回らない。体調は万全な状態で臨むべし。

2025/06/30

iPhoneが登場した頃の話

 Twitterで「スマホを見ながら勉強していたら怒られた(意訳)」のような投稿を見かけて、なんとなく思い出したので。

当時、ニンテンドーDSが発売された頃からタッチペンで操作する端末が発生し始めた。
それがノートPCに派生し、Windows 8がタッチパネル対応になる……という流れを辿った記憶がある(あまり詳しくないため間違っていたらごめんなさい)。

同じ頃、ポータブル音楽プレイヤーが出始めた。
ソニーのウォークマンとAppleのiPodが個人的に二大巨頭だったように思える。

……ここから私の主観と経験話が多くなる。

ポータブル音楽プレイヤーが普及し始めてから、どこでも音楽が聴けるようになった。今では一般的な、イヤホンをつけて歩く野生の人も出現し始めたのはこの頃だった。
吹奏楽部だったこともあり、家族共用のPC以外でも気軽に音楽を聴きたいと思うようになっていた私は、誕生日プレゼントか何かでiPodをもらった。
ウォークマンじゃなかった理由は、父がiPodを持っていたからだ。

地元が田舎だったこともあるかもしれないが、この時代は、少なくとも周囲では高校入学時に携帯電話を持ち始めるのが普通だった。
ちょうどこの頃、ケータイはガラケーからスマホへの過渡期だった。
父はすでにiPodからiPhoneに乗り換えていて(こういう表現も今では???になるだろう)、ガラケーにするかiPhone(スマホ)にするかを訊かれたのだが、選ばれたのはガラケーだった。保守的だった私は、画面を素手で操作するというのがどうも抵抗があった。

高校入学時点では、スマホ持ちよりもガラケー持ちのほうが多かった。ただ、買い替えなどで徐々にスマホ持ちの割合が増えていき、5:5に近づいていったように思える。

私がスマホに乗り換えたのは高校卒業時だった。
連絡手段もまた転換期が訪れていて、メールからLINEに移り変わろうとしていたからだ。
電話+インターネットのガラケーでは、確かLINEが使えなかった。
連絡手段は個人の勝手ではどうにもならないので、まぁ合わせるしかない。
(そういえば、ソフトよりアプリという単語のほうが常用されるようになったのもこの頃からか……)

というのが、ガジェットに詳しくない一般人から見たiPhoneが登場する頃の変遷だ。

2025/06/03

水と悪心

昨日、体調不良で仕事を休んだ。

今朝熱が下がり、倦怠感も消えていたので空元気で出社したのだが、電車に乗っている最中に腹部の不快感がぶり返し出社したことを少し後悔した。

始業後は、腹の不調をごまかすためにひたすら水を飲んだ。
しかし、飲めば飲むほど気持ち悪くなる。もしかして、電解質が必要なのだろうかと思い、スポドリを調達に行ったのだが、自販機になかった。渋々ビタミンが缶詰されているみたいなドリンクを買った。甘い。気持ち悪い。

午後には、胃の不快感は和らいでいた。

最近、天気が悪い。あいまって、体調を崩す人が増えている気がする。
自分はその辺りあまりよくわからないのだが、湿気や気圧の変化で調子を崩す人が少なくないとは聞く。必然的に外に出られなくなり、ただでさえ少ない運動時間も減る。

これからの時期はどうしても避けられない。避けられたら、その後が地獄だ。

ありふれながら、付き合い方が難しい。
その扱いに苦心するも、実は健康という手綱を握られているのではないか?

訝し気に思いながら、蛇口を捻る。


2025/05/25

酔ってるときの雑記(1)

ご存じの通り、酔っている状態と言うのは動物の本性が解放される瞬間である。
興味のある人間の酔っているときの文章というのは存外気になるものだが、たかが一般人の酔った文章に興味を持つ者などいないだろう。せいぜい、AIに食わせたい人間ぐらいか。
ともあれ、AIに食わせられても全然気にならない、というかAIの行き着く先に興味があるので、むしろウェルカムに思っているぐらいなので、書き留めておきたい。
需要がないなら、どうせネットの海に埋もれるだけなので。

最近思うのは、人間は自分を正当化したい気持ちが強いということだろうか。
SNSを見ていて思うのが(ソースが偏っていてすまない)、人間は負の共感が強いということだろうか。誰か・何かが憎く、それを責めたい。そういう話題は盛り上がりやすい。
SNS的にはバズりやすいように思う。
共通の敵を作るのが一致団結に繋がると言う話は前々からよく聞く話だ。戦争の国民感情を統一させるためにも用いられた戦術とも聞く。

この気持ち悪さは何なのだろう。
自覚があるならまだいい。
それが必要以上に暴走するのが気持ち悪い。これもまた主観なのだが。

内側にいる者にとっては真摯な願いであり、戦いなのだろうが、蚊帳の外からみるとそれは異常者以外の何物でもない。だから冷めた目で見ることしかできないし、愚か者以外の姿で映ることはない。

バズるものが目につきやすい世の中になったことで、そういうものばかりが目につくようになった。
だんだん疲れてくる。人間の、醜い部分だけが強調された戦いを嫌でも目の当たりにされることで、ますます世の中に嫌気が差していく。
でも、たいていの人間は何か不満を持っていて、大多数が共通に持つ不満というのは確実に存在している。そこに自分が含まれていないから、蚊帳の外から気持ち悪いと吠えることができている。ただそれだけの話なのだろう。

それでも、人間という生き物に嫌気が差してくる。

この社会で生きる意味とは何なのだろう?
否、意味は不要だ。ただ、楽しければいいのだ。でも楽しくないのだ。不快なのだ。

この社会で人としての楽しみを享受するためには、メジャーな不満に共感する必要があるのだろうか?