2025/05/25

酔ってるときの雑記(1)

ご存じの通り、酔っている状態と言うのは動物の本性が解放される瞬間である。
興味のある人間の酔っているときの文章というのは存外気になるものだが、たかが一般人の酔った文章に興味を持つ者などいないだろう。せいぜい、AIに食わせたい人間ぐらいか。
ともあれ、AIに食わせられても全然気にならない、というかAIの行き着く先に興味があるので、むしろウェルカムに思っているぐらいなので、書き留めておきたい。
需要がないなら、どうせネットの海に埋もれるだけなので。

最近思うのは、人間は自分を正当化したい気持ちが強いということだろうか。
SNSを見ていて思うのが(ソースが偏っていてすまない)、人間は負の共感が強いということだろうか。誰か・何かが憎く、それを責めたい。そういう話題は盛り上がりやすい。
SNS的にはバズりやすいように思う。
共通の敵を作るのが一致団結に繋がると言う話は前々からよく聞く話だ。戦争の国民感情を統一させるためにも用いられた戦術とも聞く。

この気持ち悪さは何なのだろう。
自覚があるならまだいい。
それが必要以上に暴走するのが気持ち悪い。これもまた主観なのだが。

内側にいる者にとっては真摯な願いであり、戦いなのだろうが、蚊帳の外からみるとそれは異常者以外の何物でもない。だから冷めた目で見ることしかできないし、愚か者以外の姿で映ることはない。

バズるものが目につきやすい世の中になったことで、そういうものばかりが目につくようになった。
だんだん疲れてくる。人間の、醜い部分だけが強調された戦いを嫌でも目の当たりにされることで、ますます世の中に嫌気が差していく。
でも、たいていの人間は何か不満を持っていて、大多数が共通に持つ不満というのは確実に存在している。そこに自分が含まれていないから、蚊帳の外から気持ち悪いと吠えることができている。ただそれだけの話なのだろう。

それでも、人間という生き物に嫌気が差してくる。

この社会で生きる意味とは何なのだろう?
否、意味は不要だ。ただ、楽しければいいのだ。でも楽しくないのだ。不快なのだ。

この社会で人としての楽しみを享受するためには、メジャーな不満に共感する必要があるのだろうか?